スポーツ観戦は楽しいものです。
特にスーパーアスリートのうごきを観察するのは
アレクサンダーテクニークの学びの助けにもなります。
最近では世界体操。
今のテレビはスゴい高感度のカメラでスローモーションも見せてくれます。
内村選手の鉄棒などをスローで見るととてもよく分かることがあります。
・・・彼はずうっと鉄棒が見えている・・・
もう、あの高さで、今は鉄棒の上の方で
クルクルぐるぐるひねりだなんだやってて本当スゴいんですが
彼はしっかり頭(眼)と鉄棒が(手を離してクルクルしてても)繋がっているのが観察できます。
あそこまでのハイレベルなパフォーマンスでなくても
例えば、ゴルフやテニスをするときに球から目を離さないようにしたり
役者なら相手役から目を離さないようにしたり
大根を切る時には包丁と大根をよく見ていようとしたり
わたしたちはするものですが
果たして、なかなか本当に「見えている」というのは難しいものです。
しかも、これをもっと高めようとすると
実際に眼で見ていなくても、
そのうごき(存在)を認知しているという能力も必要になります。
キャベツの千切りしながら手元から目を離しておしゃべり出来る人など
私なんか「神か!」と思います。
サッカー選手には「神」はたくさんいます。ノールックパスなどありえません!
+++ +++ +++
でも、こういう能力の開発もアレクサンダーテクニークのレッスンは役に立ちます。
頭と背骨の理想的な関係性は、人間の能力を全般的に向上させてくれますので
「ちゃんと見たい」「ちゃんと見えていたい」
はたまた「眼で追ってなくとも意識のなかに捉えていたい」ことがある方には
それがどんなものであっても、大きなサポートになることでしょう。
わたしは役者なので相手役の観察も大切な要素ですが、
実はもう一つ
自分が何かアクション(演技)をしているときに、
その時に見えている(見えていたい)ものが
もっとクリアに見えていたい!・・・という望みがありました。
しかし、私は甲状腺に疾患があり、
これがクリアにものを見ることも妨げていたので
なかなか「自分」と「自分が見ていること」との焦点が合わない
・・・ひいては「自分」と「自分がしていること」との
焦点がなかなか合わないという苦しさがありました。
演技に集中するためにそれはそれは長い時間とたくさんの準備作業が必要でした。
しかし、アレクサンダーテクニークを使いながら自分自身全体の協調性が高まり
ものを見る際の自分自身の使い方なども一生懸命練習を重ねたところ
今では本当に以前と比べて世界がクリアに見えるようになり
結果的に自分のしている行為への集中力も自然に増しています。
パフォーマンス前の準備の時間がものすごーーーーく減りました。
ちょろちょろ走り回る倅をいちいち目で追わずとも
その存在を捉えながら、スーパーの買い物を楽しむこともできます(笑)。
視力が良くなったわけではないのですが、眼鏡をかけなくても不自由しないシーンもかなり増えました。
よく見えている、ということは
自分と自分のしていることとの焦点を合わせてくれるのでしょう。
違う言い方をすれば
「自分のしていること」と「自分の意識」とのピントが合っていることが
よく見えていることであり、集中しているということなのかもしれません。
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そしてこれは決して「視力」の問題(だけ)ではなく
自分と行為、自分と道具、自分と環境、自分と対象との統一感がこれをもたらすもので、
これが、アレクサンダーテクニークの実践により間接的に得られる
「意識(注意)の統一感」のもたらす一つの効果なんだろうと、
わたしは自身の経験から実感しています。
内村選手は他のアスリートと比べて、
パフォーマンス前にいかにも集中しようとしているように見える振る舞いは
ほとんど見受けられません。
もちろん集中しているのですが、
ことさらに「集中しよう」とはしてないのです。
・・・どんなスポーツと比べても体操は集中が必要なスポーツに見えますけどね。
たぶん、素晴らしいコーディネーションを以て
彼はいつも「全部見えている」のかもしれません。
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